|
人の行く裏に道あり花の山 荒井伸也(あらいしんや) サミット/社長(文庫追加分)→安土敏著作目録 たえまない教育こそ企業成長の源泉だ 河本武(かわもとたけし)(ユーハイム/社長) 創業者から受けた薫陶のかずかず ユーハイム 社員教育の神髄 社員教育は工業思想よりも農業思想を重視 ボーイ職からスタートしたのが結果的に良かった 大企業にできないサービスの提供こそ小企業が生きる道 小田禎彦(おださだひこ)(加賀屋/社長) 60億の借金は社員のやる気を引き起こすため 地方の伝統を活かした「旅館」がコンセプト 効率の悪さを逆手にとるのが中小企業の条件 従業員はどう変わったか 経営者の能力は失敗した金額の大きさで決まる 三沢千代治(みさわちよじ)(ミサワホーム/社長) 日本の会社の「和」は危ない 失敗金額が大きいほど見込みがある 三澤千代治「死んだふり」の顛末 面白い話は仕事をすっぽかしても聞きにいく 中途採用者に期待するもの 企業は公器、経営は独立独歩の精神が正しい 森和夫(もりかずお)(東洋水産/社長) 水産会社がラーメンに転身したきっかけ ラーメン特許紛争の顛末 創業社長の悩み、苦しみ 常に「会社は公器」を心がける ルワンダから日本の企業社会の強さ弱さを見る 服部正也(はっとりまさや)(ケーヨーリゾート開発/会長) ルワンダの苦労は日本銀行の苦労よりも少なかった ルワンダの生活は自己発見の連続 いつもどこかで楽しんできた 日本独自の海外援助をするのが本当の国際化だ 日本の海外援助は哲学がない 社是なし、会議もしない会社のユニーク経営管理 中村信雄(なかむらのぶお)(ドリコ/専務) そもそも「ドリコ」とは 温泉を探し当てる確率は七割 トリコは社員一人一人が楽しみながら仕事をしている 喜びも悲しみも客とともに 会議も社是もない、あまり儲けようとも思わない ぼくはガキ大将社長でいたい 西尾出(にしおいづる)(日本ナレッジインダストリー/社長) 人間はどう生きていくか、情報化社会はそこから始まる 経営者になるよりも、ガキ大将で夢を語りつづけたい 社長らしくない社長が仕事について思うこと 創業のエネルギーをどう引っぱっていくか ナイロンストッキング一筋に生きる 堀禄助(ほりろくすけ)(厚木ナイロン工業/社長) 日本では全く売れなかった 全財産を事業に注ぎ込んだ 日本の女性が変わることに賭けた 生活産業としての国際交流 長崎から東京、アメリカへ、多店化の陰にも迷いはあった 米浜和英(よねはまかずひで)(リンガーハット/社長) 大学受験に失敗、兄の仕事を手伝う 「一味違うちゃんぽん」も、本当は怖かった 「リンガーハット」はフィーリングで決めた 福岡、東京、そして海外へ CMで会社のイメージは変わったが、モノ作りの心は変わらない 古賀義根(こがよしね)(東陶機器/社長) ウォシュレットは生活文化に革命をもたらした PRは変わったが、作りだすものは変わっていない TQC活動で、TOTOが変わった 伯父と父の教え、生き方が心の支えになった 小島壮介(こじまそうすけ)(小島プレス工業/社長) 世の中の大転換期に家業を引き継ぐ 伯父、山下太郎は転身に反対した “山師”を誇りにした山下太郎 伯父と父に共通するのは「権力の否定」 これからは“お菓子の洋服屋”をめざす 昼間製品開発、夜営業に歩きまわった創業時代 大北春男(おおきたはるお)(アデランス/社長) 男性かつらのイメージアップをまず考えた 業績が伸びることには確信があった CM展開で認知度がアップ 技術ではなくカウンセリングで売る 現代病に挑戦する企業へ 組織化と経営者教育が、町の不動産屋のイメージを変えた 尾尻啓介(おじりけいすけ)(センチュリー21・ジャパン/社長) 子会社運営の難しさは親会社との信頼関係 金属畑から不動産畑への転身 センチュリー21が町の不動産屋のイメージを変えた これまでの業績よりも、将来性がある方を選ぶ 最終的な重点はエンドの個人においていく 宝石で失敗していなかったら今の自分はなかったろう 谷口中(たにぐちあつる)(ダイアナ/社長) 予科練の勉強が役に立った 宝石商で天国と地獄を見る 「夢の銀座」に靴店で進出 美足文化提案企業へ 過去を忘れて今までにないものを創ることの難しさ 田嶋英雄(たじまひでお)(ミノルタカメラ/社長) 創業者・田嶋一雄のこと α七〇〇〇登場 大ヒットに慢心せず、新たなスタート α七〇〇〇によってミノルタも変わった お洒落は決して自堕落ではない、誇り高き生活産業だ 鈴木義雄(すずきよしお)(鈴屋/社長) 商いの基本を教えてくれた両親のこと オルガナイザー的素質を母親が見出してくれた お洒落は決して自堕落ではない、プライドのある商売だ いつまでも夢は尽きない 「ふくよかミセス」のルーツはお客様の後ろ姿にお辞儀する心 柏木勇治(かしわぎゆうじ)(柏屋前社長・故人) 修行時代から倒産のころ 朝の五時から夜の十一時まで営業していた Lサイズ転身のきっかけは「乗り遅れ」 手形は切らない。給料は現金で 夢中になってやれる仕事があれば、それは楽しい時間だ 本田宗一郎(ほんだそういちろう)(本田技研工業前最高顧問・故人) → 本田宗一郎著作目録 工場を作るときに、まずどこにトイレを作るか考える うちの副社長と組まなかったら、田舎で鍛冶屋やっているだろう なんでもかんでも自分で考えるのは、ちょっと間抜けじゃないか <あとがき>佐高信 |
1999年10月
|