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第1話 いまこそ批評に毒を盛れ 高橋春男 → 高橋春男著作目録 批評に禁じ手は「あり」? 政治家はそれなりに顔で性格がわかる? 今まで築き上げたものを、笑いは一瞬にして壊す 本人に会うと批評の鉾先が鈍る 三十歳過ぎから女性である という哲学 批評の毒は性欲から? フラストレーションから? 第2話 金融モラル確立が「日本浮上」の鍵 P.タスカ →ピーター・タスカ著作目録 常に新しいブランドを必要とする日本 企業はみなファイナンスで株式中毒になった 「ミスをしたら責任を取る」原則の無視 モラルハザードこそ、経済立て直しの手がかり 日本の「システム成り立ちの時代」は終わった 第3話 ノンフィクションの「事実をみる眼」とは何か 柳田邦男 → 柳田邦男著作目録 現代日本人の「生と死」 宗教を前提にしない「よりよき生と死」 「事実による物語」のはじまりに向かって 人間の真実に迫るそれぞれの手法 アンフェアーな取材ということ 第4話 「私は政治改革のモルモット」 小池百合子 → 小池百合子著作目録 既成の政党を崩すことができるならば… まずはじめに既成政党の否定ありき… 党議拘束を解くことが何よりも早道 冷戦構造も終わり選択肢が変わった 高齢化社会も女性の負担が増える 第5話 「社富員貧」の会社本位主義を叱る 奥村宏 →奥村宏著作目録 指名解雇する経営者は経営者失格 日本は“会社大国の経営者小国” 自ら批判の目を持つということ 経営者は公選にすべし 外部批判が有効性を持つシステム作りを 兜町に刑務所を設置せよ 「脱社独往」で行く勇気を持つ 第6話 目覚めよ!ジャーナリズム 久野収 →久野収著作目録 “十歳人間”の時代がやってきた! ジャーナリズムは現場から頭脳へ昇っていく知識 幸福を求めると不幸になるパラドックス 平等のコミュニケーションをどう作り出すか ジャーナリズムとアカデミズムの対立 テレビのコミュニケーションとは? 悪貨が良貨を駆逐しないための方策はあるか 第7話 相撲は“異界”からのメッセージ 杉浦日向子 → 杉浦日向子著作目録 相撲はスポーツではない、伝統芸能です 力士に国民栄誉賞はいらない 「道」を求める相撲なんてつまらない 平均点が支える国、日本 強くてモロいのが力士の魅力 貴ノ花はまだ男じゃない 無駄が文化を育む 金髪外国人力士を待望、切望する 第8話 闘う批評とは何か―文学と憲法のはざまで 江藤淳 → 江藤淳著作目録(エトウジュン) 相手の急所を突く批判とは何か? 助け起こす批判か、殺す批判か? 生き急いだ三島由紀夫と太宰治の生き方について 文芸時評の延長としての日本国憲法批判 戦後、日本の何が変わったのか? 第9話 人生は博打。0勝10敗だっていいじゃない 吉永みち子 → 吉永みち子著作目録 居場所がなくて墓地に通った学生時代 群衆の中の孤独を駆け抜けていくと… 十五・十六・十七と、私の人生暗かった 明日に向かって競馬をする 競馬場での正しい服装とは? 競馬場では誰何(すいか)されない 闇の温かさ、光の酷薄さ 第10話 反制度を笑いで描く“有毒”筒井式小説作法 筒井康隆 →PHP人名事典 →amazon「筒井康隆」 批判の毒は誰に盛るか 小説そのものが反制度 抗議の受け流し方について 雑誌は面白ければよい “バブル”が崩壊して借金が残った 不況時に小説が売れるという言い伝え 小説を書けば必ず誰かが傷つく 封建的なロマンへの憧れ 第11話 堕ちたジャーナリズムが日本を滅ぼす 本多勝一 →PHP人名事典 →amazon「本多勝一」 奴隷になりたがる人間は個人か だからヒトラーは可能なんだ 日本はタブーだらけの利権国家 マスコミは情報を売るデパートだ 本物は本物、偽物は偽物 あとがき 1 高橋春男 2 P.タスカ 3 柳田邦男 PHP人名事典 4 小池百合子 5 奥村宏 6 久野収 7 杉浦日向子 PHP人名事典 8 江藤淳 PHP人名事典 9 吉永みち子 10 筒井康隆 PHP人名事典 11 本多勝一 PHP人名事典 (uwasano) 高橋春男氏との対談は、佐高氏の下品な発言が面白い。 また、話題にされたソニーの盛田氏のインタビュー「盛田昭夫の親ばか世襲の弁明」が掲載されているのは次の本である→ 1992.2.20『日本に異議あり』 → 盛田昭夫著作目録 柳田邦男氏との対談で話題となった「同時代ノンフィクション選集」は こちら、「現代を読む 100冊のノンフィクション」は こちらです。 久野収氏はp130「宗教は脱世間であって、世間での本当の指針にはなりにくいと思っていますがね」という。「哲学」ということになるか。生きにくい現実社会をどう生きるか。石川好氏はフィロソフィーを「哲学」と和訳せず、「生き方」と和訳せよと言っていたが、今の日本は「死に方」が話題となっている。「死に方」の本『完全自殺マニュアル』とか。本当は『人格改造マニュアル』とかのほうをもっとクローズアップしてほしい。 → 石川好著作目録 江藤淳氏はp189「安岡(安岡正篤氏)先生の弟子だとひとこと言うと、右翼が狙わないのだそうです」と言う。安岡氏のことは KKニッポン就職事情(講談社文庫) 等に出てくるが、企業社会に必要なものなのか? というニュアンスだった。政界・官界・財界で強い影響力をもつということだが、江藤氏のニュアンスだとそれほどでもないという感じだ。 本多勝一氏との対談は、本多氏に手紙を送ってくる人の話が面白かった。本多氏のいた朝日新聞社ではない別の新聞社に、本多勝一様宛てで手紙を送って来るという。ホラーみたいだ。宮部みゆき氏の小説『龍は眠る』で白紙の手紙が新聞記者あてに届くような話があり(後に「恨」の一文字が書いてあったりした)そんな話を思い出した。 それから、日本ではモノカキを神格化するという話も面白かった。全肯定と全否定のどちらかしかないという。これは、本多勝一氏のファンを「本勝教信者」と呼ばれるのを聴くと、ありうる話だと思った。最近は、司馬遼太郎氏を批判した本 『司馬遼太郎と藤沢周平』を佐高氏が出した後、司馬ファンからの抗議のかなりあったという。 司馬氏を全肯定するというファンが多いというわけだ。部分肯定や部分否定が大切だ。完全無欠の人間などいないだろう。作家に限らず、タレント文化人や宗教家の神格化は危険だと思う。(そういう私も佐高氏を神格化してたりして) |
1999年10月
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